沖縄県地域のハジチ
奄美群島のハジチ
日本領に編入されるまでの蝦夷、アイヌ民族、琉球王国の領域では、それぞれ独自の刺青文化が存在した。
日本書紀』の記事中には、武内宿禰の日高見國からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していた事が記されている(景行27年2月条)。
アイヌ民族の刺青は成人女性が手や口の周りに施すものが知られており、1871年(明治4年)以降禁止されたが、隠れて行なわれることも多かったとされ、文化的に重要な位置を占めていたとされる。 また、現代のアイヌ女性が重要な儀式に際して口の周りを黒く塗るのは、かつての習俗の名残とされる。
琉球王国では「ハジチ(刺突・パリツク)」と呼ばれた刺青文化があった。ハジチは女性のみが行い、本土にさらわれないための魔よけや後生(死後の世界)への手形とする民間信仰、成人儀礼としての意味があり、美しさの象徴ともされた。
笹森儀助は宮古島では11, 13歳に施す成女儀礼であり、またそれがないと後生に行けないと著作に記しており、かなり強制力があったようである。沖縄本島では14歳くらいから施し始め、少しずつ文様を増やしていく。文様には地方によって微妙な違いがあり、両手に23の文様を彫りこんで完成とし、その頃が結婚適齢期とされていた。文様のそれぞれには太陽や矢といったさまざまな意味がこめられていた。宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、人頭税下、貧困にあえいでいた島であるので、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様(食器、箸など)もある。
琉球が沖縄県として日本へ編入された後も、しばらくこの旧習は維持されたが、1889年(明治22年)10月21日に沖縄県にもハジチ(刺青)禁止令が出されたため、ハジチの習俗は廃れた。しかし平成の初め頃までハジチを施した高齢者がみられたと伝えられている。
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